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  2009年5月8日〜6月8日 
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日程表
オーストリア | ザルツブルク(Salzburg)
2009.5.26(火)
シュクオール
ザルツブルク

ザルツブルク/モーツゥアルト生家(1756年1月27日生)
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日程表



シュクオール駅から
ランディック行Postバス

シュクオール駅バス乗り場
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2009.5.26 快晴
AM7:00朝食前にチェックアウト精算をする。朝食後すぐにシュクオール駅へ、8:30発ランディック行きのPostバスに乗る。スイス国境からオーストリアに入るのだがPostバスだけにいくつもの集落に停車し乗客を入れ替えながら、Martina.postaという停留所に来ると後ろのバスに乗換えを指示される。

Martina.postaでバス乗換

停車中の隣のバスに乗り換えて(スイス〜オーストリア国境通過の為か?)又同じように山間の集落を走り抜け10:10オーストリアに入り、ランディック鉄道駅に到着した。駅周辺はとても静かな山村にあり、しばらくホームで待って10:35ウィーン行き特急列車に乗車。



ランディック駅  ウィーン行きの列車に乗る

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スイスではどの列車に乗っても車窓の風景はどっちをを向いても、完璧に整備され、移動の為のものでなく観光列車のようだが、それに対しオーストリアの鉄道は移動の為、生活の足、という感じで車窓の風景は工場があったり、資材置き場があったり、廃墟があったり、現実に戻されたように違っていた。



13時39分、ザルツブルク駅に到着、ホテルまでは歩ける距離と考えていたので、下車した反対側に通路を移動するが日本の駅のように表裏の出口はないようで、出口は1つしかないと判断、線路と平行して大通りからガードをこぐって反対側に出て歩いていく。


ザルツブルク駅

ザルツルグ駅

道を尋ねながら約20分位歩いて、予約していたホテル・ブリストルに到着、 チェックインする。部屋は495号室(5階)角部屋で、部屋の入口の廊下窓の正面にミラベル庭園、部屋に入って、窓のすぐ下にマカルト広場、広場の前はモーツアルト家族が数年暮らした、モーツアルトハウス、その先のザルツアッハ川対岸の丘の上にはホーエンザルツブルク城が見える。ここは絶好のロケーションのホテルと思う。


ホテル・ブリストル





ホテル前広場 左に三位一体教会




ホテル窓から、正面下にはモーツアルトハウス(モーツアルトが1773年〜1780年居住) 背後に遠くホーエンザルツブルグ城。


ホテル ベランダ右側先には旧市街へ渡るザルツァハ川 橋


ホテルで少し休んでから、部屋の裏側正面に見えるミラベル庭園へ散歩に出かける。


ミラベル庭園を散策してから、ホテル横を通り、マカルト広場、そして橋を渡って旧市街へ出る。そこはザルツブルク一番の繁華街ゲトライデ通りで、通りの中心にあるモーツアルトの生家を見る。


ザルツブルク/モーツゥアルト生家(1756年1月27日生)

この通りには何本も細い路地の抜け道がありその中を歩いていると、どこかで見た露店がある、NHKBS『世界ふれあい街歩き』で見たお店だ、番組では女性親子が『ここのは美味しいからいつも買って帰る』とコメントしていたのを思い出して、早速ボスナ(ホットドックのような)を注文して見せの前で立ち食いをする。パンは焼き立てでぱりぱり、具のたまねぎとソーセージ独特な香辛料があいまってとても美味しかった。


ホットドックのような名物『ボスナ』の店 日本語メニューがあった。


『ボスナ』

ザルツブルク旧市街一番の目抜き通りゲトライゼ通り


年中クリスマス用品専門店

夕方4時半ごろ ホテルに帰りゆっくり休んで夕食。
ホテルからは夜景もとてもきれい。

2009.5.27(水)
ザルツブルク2日目

2009.5.27 雨〜晴れ
昨夜は旅行に来て初めての激しい雷雨が朝方まで続く。
レストランで朝食、どのメードさんもとてもフレンドリーで親切、モーツアルトのBGMも朝の静かで穏やかな雰囲気、全てにおいて過去宿泊したホテルの中で一番かもしれない。
10:00過ぎても小雨が降り続けている、レセプションでウィーンのホテル宛てに30日に届くようにハウス・ハウス・ゲペック(荷物別送)をお願いする、が担当者があまり受けた経験がないようで一生懸命理解しようと勤めてくれているのは解るが少し不安げにしていると、必ずあて先に送る手配をしてくれるような口ぶり(言葉が良く理解できない)トランクにもあて先を大きく張ってあるので任せる事にして小雨の街に観光に出る。

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ほとんど傘もいらないくらいで今日はザルツアッハ川左裏道からモーツアルトの小橋を渡り旧市街に入る。


サウンドオブミュージックでマリアの居たノンベルク修道院

モーツアルト広場から『サウンドオブミュージック』の中でマリアが修行していたノンベルク修道院にいく。入口の門は映画のまま、庭に入ってみると中の部屋でテーブルにかけて居住の方が歓談中だった、あわてて表に出る。

『サウンドオブミュージック』
志願修道女のマリア(ジュリー・アンドリュース)は歌が大好きだった。ある日彼女は院長の命令で、7人の子供がいる、やもめの退役海軍大佐トラップ(クリストファー・プラマー)家の家庭教師となった。トラップ家の古風で厳格な教育方法に対しマリアは彼女一流の音楽教育を始めた。大佐が婚約者の男爵夫人を迎えにウィーンに旅立った後、マリアは子供たちに音楽の楽しさ、歌うことのすばらしさを教えた。帰宅した大佐は子供たちの変りように驚きマリアを責めたが、子供たちの美しいコーラスを聞いた時、心ならずも忘れていた音楽を愛した昔を思い出した。数日後トラップ家でパーティが開かれた。その頃オーストリアでもナチの勢力は日増しに強くなり、広間に飾られたオーストリア国旗はナチ派の非難まとだった。マリアは大佐と踊ったとき、彼を愛しているのに気づき修道院に帰った。しかし院長に励まされ、再びトラップ家に帰ったが、そこには大佐と男爵夫人の婚約発表が待っていた。だが、子供たちはなつかず、大佐がマリアを愛しているこを知った夫人はひとりウィーンに旅立った。大佐とマリアは結婚した。大佐の友人マックスは彼らを音楽祭りに出場させることにした。ハネムーンから帰った大佐を待っていたのはヒットラーからの召集令状だった。祖国への愛を裏切れない彼に残された唯一の道それは亡命だった。音楽祭りで一家が故国の民謡を歌った時、はからずも観衆の大コーラスがかぶさり、一家は優勝した。その後修道院に身をかくした一家は、長女の恋人で、今はナチにくみするロルフに見つかったが、大佐の勇気が彼にうちかった。そして一家はスイス目ざして力強く山道を登っていった。

修道院から坂道をあがりホーエンザルツブルク城入口に着く。



城入場口。 ここでチケットを買い城内に入る。先生に引率された沢山の小中学生でにぎやかだ。


ホーエンザルツブルク城からのザルツブルグ市内

ホーエンザルツブルク城
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マリアの修道院と逆の坂道から旧市街に下りていく。大聖堂〜ペーター教会〜祝祭劇場〜馬の水飲み場〜ゲトライデガッセと歩く。



サウンドオブミュージックでマリアの家族が逃げ込んだサンクトペーター教会墓地

ザルツブルグ音楽祭会場 祝祭大劇場 

ザルツブルク生まれの指揮者カラヤンはここ祝祭大劇場で数々の演奏を指揮した。その功績を記念して祝祭大劇場の西側の広場を『ヘルベルト・フォン・カラヤン広場』と命名されている。

馬の洗い場

ホテルに帰る。レセプションで今朝の担当者にウィーンに送る荷物の事もう一度確認する。


ザルツブルク〜ウィーン荷物別送荷札
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